。「世の中のすべてが狂っている」という極限の認識そのものを題材にするだけでなく,ドラクエ10 RMT,人間がその認識に至る瞬間を巧みな筆致で描き出していったからこそ,現代においてもクトゥルー神話は幅広い支持を受けているのではないか。クトゥルー神話において,世界はクトゥルーの見る夢であり,人間はその夢の中を蠢く影にすぎないとされる。この「クトゥルー」を,「クトゥルー的なる他者達」と置き換えたとき,そこにラヴクラフトの抱いていた絶望と孤独が垣間見えはしまいか。 を書いたハワードは,ラヴクラフトを師とも兄とも尊敬しており,距離的な問題から文通が主ではあったが,深い交流があった。実際コナンには名状しがたい奇怪な怪物や神々がしばしば登場する。 そんななかで,ハワードが初めてクトゥルー神話に触れ,強い衝撃を受けると同時に天啓に導かれるようにして書き,恐る恐るラヴクラフトに送って評価を乞うたといわれる作品がある。概略を紹介しよう。 あるところに忌まわしい姿をした怪物がいて,その怪物はたびたび地震を起こしていた。人々は怪物の存在を恐れ,また地震に悩んだ。そこで,ある男が怪物を倒そうと立ち上がった。彼はそのままでは怪物に勝てないと考え,まずその怪物と同じくらい巨大な大蛇を打ち倒し,毒を集めた。そして巨大な弓を作り,巨大な矢を何本も作って,崖の上で怪物を待ち伏せした。しばらくして現れた怪物に,男は次々と矢を撃ち込んだ。もだえ苦しむ怪物! だが怪物はまだ倒れない。そこで男はこれまた巨大な槍を手にし,ドラゴンクエスト10 RMT,穂先に毒を塗って怪物に踊りかかった。男の一撃は怪物の息の根を止めたが,いまわの際に怪物は触手を振り回して男を打ち据え,男もまた致命傷を負って倒れたのだった。男の死に顔は,満足感にあふれていたという……。 ラヴクラフトファンが読んだら開始数行で「これはまったく違う」と言いたくなる作品である。筆者もそう思う。だがこれを読んだラヴクラフトは,我々にとっては意外にも,「こういうのも良い」と評価している。 いくつか推測できることはある。まずラヴクラフト自身,クトゥルー神話というギミックを何よりもエンタテイメントとして考えていた。その要素をうまく使ってハワードなりの新しいエンタテイメントを創り上げたことは,評価できるであろう。 また,ハワードとラヴクラフトは,心情的に近い部分が多かったのではないかとも推測される。30歳でピストル自殺したハワードの,繊細さと孤独を恐れる精神は,ラヴクラフトにとって比較的近しいものではなかっただろうか
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