2013年2月25日月曜日

連載「ゲーマーのための読書案内」第46回:『オリエンタル・デスポティズム』_2

。ヨーロッパ近辺に例をとると,中枻橹醒毳ⅴ弗ⅳ摔堡皮嗡ι缁幛趣谓哟?領土的吸収を通して,民主制後期以降のローマは「周辺」から,やがて水力社会そのものとなっていく。版図がオリエント地域まで広がれば,水力社会を内側に含む形になるのは当然だが,重要なのはそこで受けた影響がローマ全体に還元され,また枼愆`マ帝国はさらに水力社会の方向へと傾斜していったことだ。  そんなローマの外側にある西ヨーロッパは「亜周辺」と位置付けられる。ここには部族社会の名残が強く残り,水力的要素は部分的にしか取り入れられなかった。ゲルマン人による征服で成立した国々が,ごく限られた王権と直轄領,双務的主従契約から成る封建社会,つまりかなりの程度諸侯の寄り合い所帯に留まったのは,ひとえに水力社会の影響が弱かったからだという。つまり,封建社会は別に必然的な進化方向ではなく,単に水力社会化が中途半端だった結果にすぎないのだ。  だが,水力社会的な単一中心社会が成立せず,多数中心社会に留まったことが,DarkBlood RMT,結果としてヨーロッパを次の時代を担う勢力に押し上げる。国家から独立した教会の権威,身分制の成立=政治勢力化,強固な私有財産制に裏付けられた商業資本の発達などが,さまざまに関係を組み替えながら絶対王政を生み出し,近代国家へと進んでいく。  逆に栄蟮?水力的社会は,その圧倒的な安定性のために本俚膜蕢浠蚪U験しないまま,力をつけた資本主義とヨーロッパ的国民国家に打ちのめされる。これが植民地時代に起きたことである。  ウィットフォーゲルは同じ見方で全世界を捉え,枼ⅴ弗ⅳ扦现泄蛩Φ闹行模毡兢騺勚苻xと位置付けている。これはたいへん示唆的な指摘で,「日本になぜ武家社会が成立したか」「なぜ中国には明確な中世的特徴を備えた時代が見いだせないのか」に対する,冴えた解答となっている。明治以降繰り返し論じられた西欧中世と日本中世の相似形という謎は,近代日本の願望でもあったがためにいろいろ物議を幛共糠证舛啶盲郡韦坤瑏I地域が水力社会の亜周辺という共通の条件下にあったことに注目すれば,FF11 RMT,割とすっきり解けるのだ。  そう考えたとき,「三国志」と日本の戦国時代を似たような英雄史観で描く作品が日本のPCストラテジーゲームシーンで先行したことは,一面で大きな不幸だったと言わざるを得ない。俸禄ルールを入れようが,国単位の委任統治ルールを入れようが,戦国武将を国家官僚のように描くのは根本の部分で間違ったモデル化手法である
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